公益財団法人佐賀育英会 松濤学舎

舎監室の窓から

丁寧に生きる -盛り塩に思う- 20250826

盛り塩とは、小皿に盛って、玄関や部屋などに置く塩のことです。
悪い運気を取り除く効果があるとされており、一軒家やマンションなどの家の種類にかかわらず行われます。
特に商売においては時々店舗の入り口に置いてあるのを見たことがあります。
日本橋にある佐賀銀行東京支店にお邪魔したら、なんとその入り口に盛り塩が!
このご時世に珍しいなと思うとともに、丁寧な仕事ぶりを感じました。
たんに効率を求めるのではない、そこには心を添えているのですというメッセージを受け止めました。
受付には佐賀の美術家である大久保孝夫氏の画が飾られていました。
都会の真ん中で、何か優しい温かさを感じたできごとです。

ファーストペンギン  20250825

私が赴任して3件目の視察がありました。
いずれも女子寮化を検討する他県の学生寮関係の皆様です。
今回は主に県庁の職員さんや設計関係の方がお見えになり、結構専門的な質問を受けました。
本舎の女子共住化は平成28年から検討され、令和2年に決定。
100周年事業の目玉として取り組まれています。
「全国に先駆け」というと大げさかもしれませんが、全国の学生寮としてはファーストペンギンのグループであることは間違いないでしょう。
「日本は佐賀を見ていた。佐賀は世界を見ていた」とは明治維新150年のキャッチコピー。
舎生もこうしたチャレンジングなことに向かうDNAがきっと流れていることでしょう。

この人を見よ 20250823

浴恩館(小金井市文化財センター)で開催された読書会に参加してきました。
課題図書は下村湖人著『この人を見よ』です。
参加者は5名の小さな会でした。
この本は、下村湖人が田澤義鋪(ともに佐賀県出身)の生涯を描いた伝記です。
浴恩館は田澤が設置・開設し、親友である下村が館長として管理していた時代がある由緒ある建物です。
小金井に佐賀県ゆかりの施設が、しかも文化財的に価値のある建物があることに驚きました。
そして二人の交友の深さと田澤の業績に圧倒されます。
まだまだ知らないことばかりで、これから少しずつ勉強を重ねていきたいと思います。

【下村湖人】
1884年明治17年)10月3日 - 1955年昭和30年)4月20日)。日本の小説家、および社会教育家。本名は下村 虎六郎、旧姓は内田。佐賀県神埼郡崎村(現神埼市千代田町崎村)出身。東京帝国大学英文科卒。大学卒業後に母校佐賀中学校教師や鹿島中学校校長等を歴任。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪に従い、講演や文筆活動で社会教育に尽力。青少年に影響を与えた『次郎物語』の著者として知られる。(ウィキペディアより)
【田澤義鋪】

1885年明治18年)7月20日 - 1944年昭和19年)11月24日)は、大正期及び昭和初期の社会教育家、政治家思想家佐賀県鹿島市出身。青年教育と政治教育そして選挙粛正に一生を捧げた。とりわけ青年団運動及び青年教育に尽力した活動が知られており、「青年団の父」と称されている。(ウィキペディアより)

ゲルニカ  20250820

群馬県立近代美術館で”ゲルニカ”を観ました。

”ゲルニカ”はピカソの作品で、戦争の不条理や悲しみ、混乱、死の恐怖を白日の元に晒した大作です。

私の高等学校勤務時代にも、当時の生徒さんに、ピカソの”青の時代”を踏まえて”ゲルニカ”の制作に至る話をしたことが何度かあります。

ピカソは若い頃、青を基調とした画をよく描いています。いわゆる「青青の時代」ですね。

乞食や娼婦、長血を患う女など、いわば社会の底辺に苦しむ人々に徹底して寄り添った画を薄いブルーを基調として描いているのです。

そうした青年時代の性向こそが晩年の大作”ゲルニカ”につながるのだと。

「一度本物を観たい」という思いがありました。

私が観たのは、ほぼ原寸大のタペストリーです。

とはいえ、このタペストリーは、ピカソから正式に依頼を受けたジャクリーヌ・ド・ラ・ボーム=デュルバックが制作した世界に3点しかないうちの1点。

やはり本物です。本物には迫力がある。本物からしか受け取れないインパクトがあります。
まだ浅い受容にすぎないかもしれませんが、私は圧倒的な作品を前に沈黙するしかなありませんでした。

その日の群馬の予想気温は39度。
しかし、外に出てもしばらくは暑さを感じないほどでした。

”たざわ・よしはる”をよー知ってはる? 20250815

佐賀県鹿島市にある田澤記念館。
お盆期間中は閉館とも知らず、厚かましく出かけ、しかも永池守(ながいけ・まもる)館長直々にご解説いただきました。

田澤義鋪(たざわ・よしはる)。日本青年団の父とも呼ばれた郷土の偉人です。

「錦を着て故郷に帰ることを願う前に、まず故郷を錦とすることを願え」という考えにもとづき、青年教育、政治教育に生涯をかけました。
松濤学舎のある小金井市に浴恩館という文化財センターがありますが、これは義鋪が青年団講習所として開設したものです。

青年たちと寝食を共にし、青年教育にあたった姿は、今、舎監として勤めている県ゆかりの学生寮経営に関わるところが大きいような気がしています。

何か具体的なアイデアがあるわけではありませんが、これから少し自分なりに田澤義鋪氏のことを深掘りしてみたいと思います。
田澤義鋪の御霊は多磨霊園に祀られいます。

松濤学舎には入れるなら東京に!  20250811

8月11日、日経新聞のダイバーシティの特集記事に松濤学舎が紹介されました。
本学舎は県人寮で男女共住化のトップランナーです。
私が7月に着任してからもすでに何件か、視察・見学がありました。
保護者の方からの都会での安心安全を求める声を強く感じます。
ジェンダーギャップは頭では分かっていても現実問題、ハード面でまだ課題があるのかもしれません。
松濤学舎は男女ともに、最高の学生生活が送れるよう、最大のバックアップをしていきます。

生きる力とは 20250810

8月10日。
珍しく新幹線で佐賀へ帰省していたら、西日本を襲う線状降水帯による大雨で新幹線が岡山で止まってしまいました。
人生初体験に、とりあえず下車したものの、どうしていいかわからず、しばし茫然。
乗客は大騒ぎすることもなく、途方に暮れたといった感じ。
外国人も、小さな子どもたちも、しずかに状況を理解し受け入れようとしていました。
私は何とか広島までたどり着いたものの、その先へは進めず、なんとか広島のカプセルホテルに滑り込めました。
広島駅はカオス状態。
駅で一夜を明かされた方も多かったようです。
翌日は早朝から切符売り場に並び、昼前の博多行に乗れたものの、それ以降の在来線は不通。
博多駅は広島駅以上にごった返していました。
私は地下鉄で天神に移動し、高速バスで佐賀へ。
東京を立って1日半。
生きる力を試された帰省でした。
もし東京でこんなことがあったらどうしたらいいのか、寮生をどう守るのか、、。
被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。

おはずかしい  20250809

佐賀新聞に松濤学舎の舎監の紹介が掲載されました。
当日は知人から「見たよ(ニヤニヤ)」的なメッセージをいただき、うれしはずかし。
あらためて皆様どうぞよろしくお願いします。

ノーモア・ヒロシマ  20250806

原爆投下から80年となる8月6日の朝を迎えました。
学生時代、広島で過ごした者としてやはり特別な思いのある日です。
私が大切にしているのは、ドイツの
ヴァイツゼッカー大統領の演說文です。
(太字は引用文です)

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。
全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。
また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。
さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。
しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。
非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

私たちが過去につ いてどのような責任を負い、それにどう立ち向かうか。
老幼を問わず考え続けなければならないという誓いを新たにしたいと思います。

戦後80年の夏  20250804

今年は戦後80年。
首相談話を発表するとかしないとか。
政治の話はさておき、戦争を直接は知らない世代の私たちも、過去の延長線上に生きる以上、その責任を負わなければならないと思います。
さて、写真は高校時代の担任の先生。
バジー海峡で亡くなった戦没者の慰霊。
今年も読経の旅路につかれていると知り、自分も頑張らねばと思ったしだい。
6.23、8.6、8.9、そして8.15。
暑い夏、鎮魂の夏はこれからです。

高校生の演劇に感動  20250803

今日は港区立赤坂区民センターで上演された演劇を見てきました。
これは佐賀県と東京都港区の連携プロジェクトの一環で、佐賀県立佐賀東高等学校と東海大学附属高輪台高等学校の協働による『君が海と唄う日』というタイトルの作品でした。
高輪築堤を基盤にした歴史と現実、佐賀と東京が錯綜する圧巻のドラマ。
脚本・演出もすばらしかったし、高校生の熱演がこれまた美しい!
長いセリフを思いを込めて表現する姿に、ストーリー以上の称賛を送りたい気持ちになりました。
高校生素晴らしい!
さてさて、東京と佐賀。
高校生の熱量に培い、つながりを大事にはぐくみたいものです。

夏は仕込みの季節・人との繋がりも大事だよね! 20250801

今日は午後から大学入試に関するセミナーに行ってきました。
大学生にも還元できるのではないかと参加したしだいです。
講演では、東京大学の松尾豊氏からAI活用、西大和学園中高の辻孝宗氏から文章の読み方など、とても示唆深い話を聞き、深堀りしたくなりました。
また、文科省に出向していた時の上司が講演をされ、挨拶もできたのでそれが一番の達成感でした。
人はやはり人とつながっていることに充足を感じるんだよなと思ったところです。

地域とつながる  20250729

着任からまもなくひと月が経ちます。
今日は遅まきながら、隣の前原小学校や小金井市警察署、小金井市消防局にご挨拶に伺いました。
特に前原小学校は隣どうしでもあり、何か連携ができればなあと考えています。
私がかつて勤務した佐賀県の高校でも、近隣の小学校の夏休みの学習や運動会のお手伝いに高校生が出向くことがありました。
まさにボランティアではありますが、その都度、高校生たちの顔は輝いていました。
大学生としてなにかもっと素敵なことができればなあ。
写真は前原小学校から見た学舎の風景。
屋上の洗濯物が気になったのは気のせいか…。

”草の根運動”とはよく言ったもの! 20250727

「草の根運動」とは、政治に影響を与えるために、個人や小グループによって行われる地道な取組のことです。
草の根運動は名もない普通の一人一人の力を結集し、そのつながりによって強い力となるものです。
さて、今日は午前中、テニスコートの草取りをしました。
午前中でどこまでいけるかと意気揚々と乗り込みましたが、約2時間でバテバテ。
炎天下の作業は危険と思い、再起を期すことにしました。
それにしても雑草たちの根の張り方がすばらしい。
大地をしっかりとつかみ、他の株とつながりあって面をなして意気軒昂に繁るさまにへこたれました。
これこそリアル草の根運動!
これは手ごわい。
さてさて、今日の発見は”すいか”!
”前々寮母さんが育てていたことがある”とは聞いていましたが、まさかここに!
しかも十数年も前のことなのに!
切ってみたら、残念ながらスイカの体(てい)はなしていませんでした(赤い果肉がない!)。
でも毎年ほぼ野生でこっそり種をつないでいたのかと思うと、さすが武蔵野の地は土地が肥えていると感じたところです。
ここで育つ舎生もたくましく育ってくれることでしょう。

ハグロトンボの訪れ 20250725

4月以降、佐賀の実家やわが家、そして新居である松濤学舎で庭掃除にかかわる時間がたくさんありました。

そしてそのたびに必ず訪れてくれたハグロトンボ。
ハグロトンボは昔から縁起が良いと言われています。
「ご先祖様の化身」とか「神様の使い」として大切にされてきました。
東京では絶滅危惧種にも指定されているとか。
きっと私たちの新しい生活がうまくいくように見守ってくれているのでしょう。
ありがたいことです。
そしてどうかうちの寮生もしずかに見守ってくれますように。

写真は以下のサイトから

https://orbis-pictus.jp/img/slide/hagurotonbo-slide-2.jpg

 

 

 


雨どいの草 20250720

今日は投票日。
舎生も有権者の責任を果たしてくれていることでしょう。
幸い、投票所はすぐ隣の前原小学校。
それでも「暑くてすぐ帰ってきました」と3年生O君。
写真は舎監室から見える「雨どいの草」。
雨どいに詰まった土やごみに草の種が落ち発芽、成長したものです。
雨どいのつまりや排水不良の原因にもなります。
でもなぜか応援したくなりませんか?
生命力のたくましさを感じます。
どんな所でも、与えられたところで咲きなさい、そう言って応援してくれているような気がするのです。
梅雨が明けました。空が青いですね。
学生たちは試験大詰め。連休はどこ吹く風。
でもそれが終われば夏休み。もう一息。みんな頑張れ。

関東も梅雨が明けました! 20250719

関東も梅雨が明け、いよいよ夏本番です。
3連休を利用して舎監室前の庭の草取りをしました。
代々の舎監さんはこの庭を見ながら何を考えていたのでしょう。
歴史ある庭にしばし感慨。
それにしてもいい天気です。

はじめまして! 新舎監です! 20250701

7月1日付けで舎監として着任しました下村昌弘です。

松濤学舎は佐賀県にゆかりのある前途有為な学生が寝食を共にする、100余年の歴史をもつ学生寮です。私の友人・知人や教え子たちの中にもこの学舎で学生時代を過ごした者もおり、彼らは一様に優秀で松濤学舎出身であることに矜持を持っていたように思います。

歴史と品格のある学舎の運営に携わることができ、身の引き締まる思いです。舎生の皆さんの困り感に寄り添いながら充実した学生生活をサポートしていきたいと思います。

郷里の偉人、副島種臣は書家でもありますが、彼のことばに「一番初めの棒をできるだけゆっくり書く」というのがあります。松濤学舎での生活のスタートにあたりこの言葉を枕に、しっかりと考えながら心を込めて仕事を始めたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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松濤学舎(しょうとうがくしゃ)は公益財団法人佐賀育英会が運営する学生寮です。
首都圏の大学で学ぶ、佐賀にゆかりのある大学生のために設置されました。
令和5年からは男女共住となっています。
2021年に創立百周年を迎え、以降、就活勉強会など、次世紀に向けた「佐賀の若者応援・次世紀プロジェクト」事業に取り組んでいます。

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